自己紹介「坂本ですが?」-2

2017.02.04 Saturday 00:00
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    坂本ですが?-5昨日記事の続き)
    小学校に入学した直後、私は同じクラスのアクツさんに初恋をします。…いやいや(×2)、そこじゃなかった。M君に初めて出会います。彼は私の生涯を左右したkey manです。近所に住んでいたんですが、お互い病弱だったのと、自分が幼稚園に通ってなかったため、それまで遭遇しなかったんですね。

    M君は、ある病気をかかえていました。同じクラスになった2人は、活気のある小僧たちと行動を共にすることは少なく、図書館やら教室やらインドア派、悪く言えばネクラ(これも死語か?)だったと思います。それでも楽しかった。

    通っていた小学校、山の上にあるんです。街を見下ろせるくらい高い山で、通学するのも一苦労でした。

    私が脳炎を患った話をしましたね。無事、退院したのですが、通学を許可するために小学校側が両親に提示した条件は、1学期は自家用車で送り迎えすることでした。もの悲しいVIPやね〜。1学期も過ぎ、晴れて自家用車を卒業しました。体力がない自分、坂道を登るのがきつかったのを覚えています。

    そんな私にとってのペースメーカーがM君でした。病気のM君、歩くのが残念ながら遅いんです。ですが、彼にとっても私はペースメーカーだったのでしょう。彼と歩くのが楽しくて、ゆっくり歩きながら道端の小川やらタンポポやら、みんなが見落としているものを見ていたような気がします。お互いが一番の親友でした。

    その後3年が過ぎ小4の春、車で約1時間離れた地へ、親の仕事の関係で転居しました。それまでに気管支喘息で「アスゲン」という漢方製剤にお世話になったり、バンキーという吸い玉(東洋医学の一手法)を親に施行されたり、病弱三昧(←「食いしん坊バンザイ」みたいでイイなぁ)だった私ですが、転居した頃はめでたく第二次性徴期にさしかかっており、もう学校はほぼ休まなくなっていました。でも「前へならえ!」の号令で両手を挙げることができず、一番前で右手を腰にあてる役割をスタイリッシュにこなす私でした。

    一方、その頃のM君は少しずつ病気が進行し、1人で通学するのが困難な体力になりつつありました。小6の頃だったと記憶しているのですが、学校へ通うことができなくなり、自宅へ先生が来てくれる自宅学習となりました。M君は友人とは疎遠となり、自宅に遊びに来るのは私だけとなりました。

    父の車に乗せてもらい、春休み、夏休み、冬休みを利用して、互いの家へ遊びに行くのが、お互いの楽しみとなりました。そんな関係は高校卒業まで続きます。毎年ね。珍しい関係でしょ?遠距離恋愛もここまでは続かんわなぁ。(明日に続く

     

    再掲記事【2013年4月3日0時】

    category:自己紹介 | by:坂本ヒロミツcomments(0)trackbacks(0) | -
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