自己紹介「坂本ですが?」-4

2017.02.02 Thursday 00:00
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    坂本ですが?-8【右画像:佐野菜見『坂本ですが?』】

    一昨日記事の続き)
    どこから書いて良いものやら…浪人当時の私、M君の突然死が信じられず、半信半疑で彼の家へ向かいました。相当混乱していたのか、故郷に戻った前後の記憶が不鮮明なのですが、彼の亡骸に対面したのは葬儀の日でした。

    「あぁ、動かなくなるんだなぁ。生きているうちにしか、大切な想いって伝えられないんだなぁ。」という気持ちと、「M君、よく頑張った。つらい足かせがやっと取れたんだ。天国で飛び跳ねてくれ。」という思いと、「神様、あんた、なんで俺の親友を奪った!」という相矛盾する思いが、もうごちゃ混ぜになっていました。

    葬儀に参列した友人は私1人、というよりも友人が私しかいない状態だったのです。M君の父は「●●君、ヒロミツくんが来てくれたよ〜」と笑って気丈に対応してくれたのですが、出棺直前になって「●●君!起きろ!起きてくれ!」と叫んでいました。

    あの時の空は今でも忘れません。無情にも、ものすごく晴れ渡った青空だったんです。

    東京に帰った私、民家を間借りする形で下宿していた4畳半の部屋で、積み重ねた布団の中で声を押し殺しながら泣いたことを覚えています。痛みがなくなったんで、もう書けるんですが。すみませんねぇ。こんな話をして。自己紹介の範疇をもう逸脱してるわ、とっくに。

    お涙頂戴を狙っているんではないですよ、全く。むしろそれが嫌で、この話は封印してきました。以前、看護学校で小児科の講義を担当したことがあります。「なぜ医者になれたのか、その理由の1つはここでは絶対、話さない」と言いましたね…昔の教え子ら、お前ら、よ〜く聞け!それはM君がいたからさ!スタイリッシュだろぅ?

    彼の遺してくれた手紙、家族から頂いたM君の写真、また弟が書いた机前の書「背水の陣」を見ながら残りの浪人生活を乗り越え、M君の死から5ヶ月後、国立大学医学部に入学しました。

    故人は思い出す度によみがえる」という言葉があります。私が医者になる理由について、M君は父から聞いたのか知っていたらしく、現役合格できず落胆していた私に、彼は手紙をくれました。「●●君なら大丈夫」とあり、今でもその言葉に支えられています。できれば「現役合格したよ」と直接、彼に伝えたかったのですが、今の彼なら「もう、いいんじゃね?」と言ってくるかもしれません。思い出の中の彼は、いつも笑顔!(明日に続く

     

    再掲記事【2013年4月6日0時】

    category:自己紹介 | by:坂本ヒロミツcomments(0)trackbacks(0) | -
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